2022年7月28日木曜日

営業電話にお説教 

近頃、というより開業してからという物、固定電話を店舗で開通させていると、割と営業の電話が多くかかってくる。 

概ね時間勝負の仕事だけに、正しくタイムイズマネーを地で行く仕事は、整備士はその最たる例であると言えるのかもしれません。

その最中、やはり縁もゆかりもない営業の電話が掛かってくるものですから、なかなかイラっとしてしまう事がよくあります。

とは言え、常々心掛けておりますのは、邪険には扱わず、丁重にお断りするようにしておりまして。 と言いますのは、こちらの電話を掛けてきている会社の殆どというのが外部的に委託された業務をこなしている専門業者なわけですから、忠実に依頼をこなしているので電話を掛けて営業したいという企業は実際に電話口で話している相手ではないという事になります。

だから、でしょうかね。

余計に腹が立つんですねぇ。 資本に物を言わせて大事な営業業務を直接手を下さない企業の体質というのが垣間見えてしまって、店主の視点で見た時にそれが怠慢や横着な姿勢に映るのです。

まぁ効率的に金儲けしたいという気持ちは分からないでもないのですが、自分たちの商品やサービスを売り込むという最も大事な部分を自分でやらないというのは、なんと申しますか、気持ち悪くないのかな?と感じてしまいます。

大きな企業様になると、小売りなどちまちまやってられるかという部分も大いにあるのでしょうが、そういう小売りやエンドユーザーとの接点や気持ちの交錯という部分をとっぱらってしまっては、ゆくゆくはそのずっと先にある次の商機や商品展開にある程度のエラーを招いてしまうのではないかと、店主が経営者ならそう感じるのですが。

そういうもんでもないんでしょうかね。

しかしながら、電話を掛けて来た会社というのはそれなりにプロとしての専門業者なわけですから、色々と話を聞かせて、契約を取るという策を講じて参ります。


その中で、最も害悪でしかないなと思う手法が、2分程度の簡単なお話なので聞いてくださいという手法。

いやいや、それは話の中身と受け側の意識で話というのは2分にもなるし1時間にもなるでしょ。 それを最初から2分宣言したら、もう3分になった時点でそれが嘘をつかれた様な気分になって、騙された様な気分になってしまう訳で、良い事は一つもない。

中にはもう少し姑息な業者もいて、話を聞いている内に、商品の説明をしているのかと思ったら、途中から、いきなりそれではこれでご契約という形で登録を勧めさせて頂きますと言ったやつがいまして、それはまたカチンと来てしまいまして。

どなた様にも失礼のない様に一頻り話し終えるのを遮らずに真摯な対応で聞いている人物に対して、貴様は私の意志と思考を一切に無視して一方的に契約だと? 先ずは商品説明した後の、私の商品への感想に耳を傾けるのがファーストアクションであろうと。 それをすっ飛ばして”契約”だと? 自信がないのか?自分の商品に自信がないからそんなに強引でないと売れないのか?  と、少々説教タイム。

そういう態度で営業に臨むから、実質的に契約は取れないだろう、取れたとしても強引で誰もハッピーと感じないし、クーリングオフで止められてしまうし、何か彼らは大事な物を失ってしまっていると感じた一件でした。 

本当に必要とされて、良い物、売れるものはその存在だけで売れていく。 店主はそう思う。 そこに過剰な演出や、売り込みがないと捌けない物は需要と供給のバランスに歪が生じているか、生じかけている、もしくは需要設定以上に生産し過ぎている、どちらかの過多及び過少状態なのだと思う。

売れない現実を認めなさいよと。

其処から学ぶ発見はでかいぞと。

其処から逃げて、強引な手法に逃げてその場を凌いでも、次はもっと苦しいのだぞと、良い物は更に完成しづらくなる、学んでいないのだから。 店主はそう思う。

たまに例外もあって、模倣品やパクリでヒットした商品というのもなかなかに存在すると思うが、これも結局はしわ寄せが来てしまう。 やはり本家本元の生みの親ではないので、次の手に苦心してしまう。何度もパクリをやる訳にもいかないので、いよいよヒットを生み出さなくては!というここぞの場面で力不足を露呈して、やはり売れない物を作ってしまう。

ここ何年かは必要とされるサービスのみを提供している立場なので、色々とバランスが取れているが、この立場においても、いずれ貴様のサービスなどもはや不要であると言われてしまう可能性は大いにありますので、その時は覚悟をもって身を切る改革か、離脱を余儀なくされるのだと思います。

そういったどんな立場においても、バイクブームの販売台数堅調、慢性的な整備士不足、学ぶべきことは今そこで起きている。 目の前の事象から一瞬でも目を離せない。 目の前のお金に目を奪われてはいけない、学ぶべき事から目を背けてはいけないのである。

と一本の営業電話から学んだ事柄でした。

最近はワンパターンで、飽きてしまったので、最初から断ってしまいますが。




いつも通りプライベートの写真でも備忘録代わりに載せておくか、、、と思って写真を探すと、無い、無いのである。

店主にはここ数カ月間のプライベートが存在していないことに気付く。

何もせず、何も見ず、何も感じずに、ただただ、起きて仕事して、また寝てだけをしていた。

最後に旅行に行ったもはやいつだったか思い出せない軽井沢の写真を載せてみることにしたのですが、ずっとこのままで現状では私的な時間においては状況はさらに悪化してきているので、ちょっと背筋が寒くなってしまいました。

2022年6月13日月曜日

さらば ショパンノクターン

1831年。 

パリの人々が評した。

「諸君、脱帽したまえ、天才だ。」

こう評されたのがショパン。

ここ何か月かずっとショパンを聴いている事が多い。

店舗での仕事を終え、自宅に帰る頃が21時~22時頃。 そこから自宅での事務仕事が始まる。

独立した後に分かる事だが、自営業者の仕事は店舗での仕事だけではない。

お店が終って、さぁ家でゆっくりビールでも飲むか!という事は殆どなく、やはり仕事は続いておおよそ深夜1時まで続く。

まさか!そんなひどい事ってありますのフランソワーズ!

というようなことはない。

自営業者は皆同じような物である、と思っている。

そんな自宅での仕事中に聞いているのがショパン。 以前はドビュッシーだったが、最近はショパンの方が機会が多い。  

店主は音楽に詳しくない、曲名も大抵は知らないし、本当に詳しい事は分からないが、ショパンは、あぁ~天才だな。と、思う。

ドビュッシーは店主の中でド変態なのだが、ショパンは天才だと思う。

ショパンのとある曲を聴くと、こんなイメージになる。

何百年と放置された廃墟の中で、一人で窓際に座って青々とした太い幹の大木の揺れる枝の隙間から差し込む暖かいのに悲しい木漏れ日を受けて、部屋の中がキラキラと光る。
もう誰も居なくなった場所に、且つての繁栄や賑わいを見出したい。
しかしやはり過去は過去。 永遠に戻る事のない時間への憧れと少しの嫉妬の様な物がある。 

そんな気持ちでまともな仕事が出来るのか?と思われるだろうが、意外と集中できている。

要は孤独になりたいのかもしれない。

孤独と言っても、往年のロックンローラーでもあるまいし、孤独は愛せないので、孤独になって集中したいのかもしれない。

店主も割と一人で平気な人間だが、孤独は嫌だ。(笑)

ショパンを聴いているとこうも妄想したりする。

彼は決して平穏な人生を歩んだわけではない、彼の生きた時代こそ、現在の平和な世界ではなく、暴力と戦争に溢れ、医療技術は低く、世界は争いに満ちていた。 

1800年代とはそういう時代だ。

彼は最終的に病魔に倒れるが、その闘病期も非常に長く、長きに渡り呼吸器系の病気に苦しめられて最後は闘病の末亡くなった。

彼の人生を紐解くと、そこに密接に孤独な世界が広がる。 それはショパンだから、という事ではなく、当時の世界がそうだった。 現代と比べて、電話もラインもない時代。

例え家族でも、一旦遠く離れてしまえば、電車でちょっと会いに行くなんてこともできないのだ。 会いたいと思えば、馬車を走らせ、文字通り戦火を抜けて会いに行く。

ショパンも同じくして、両親を早くに病気で亡くし、唯一の家族である姉がいたが、その姉ともそうそう頻繁に会えているわけではない。

一生を掛けた願いとして、願って願って、その思いがやっと再会につながる世界。

どんな再会だろう? どんな気持ちだっただろう。 その再会は。 次に会う事はもうないと思う様な、そんな機会。

店主は思う、そんな時代が生んだ天才音楽家、ショパン。 

ショパンは2022年をみたらどう思うかな。 ラインとかやりますかね?

死因は恐らく結核ではないかと言われているが、不運にも当時は治療法もなくそのまま死ぬだけだったようだ。

でも貴方の傑作が何故か見ず知らずのバイク屋のオッサンにも届いてますよ。 聴けば風景が出てくる音楽、よく作ったもんですよね。

貴方はこの先何世紀も生きたも同然。 ラッキーな人だなぁと店主は勝手に思う。

さぁ、仕事を進めていこう。




もう会えない人、これから出会う人、ショパンが感謝の気持ちを教えてくれる。

もっともっと多くを感じたい。

2022年5月17日火曜日

知らないから始まるんだよ。

バイクショップなのにバイクの事はほぼ出てこないこのブログに突っ込みが入る事はしばしば。

この所非常に忙しい日々が続いて、一体この忙しさはいつまで続くのだろうかと、ぼーっと通勤しながら考える事がある。

芦田屋が始まってもうすぐ2年が経過する。

この芦田屋は店主にとって整備士としての極みを求めた形になるのだが、そこには表に出てこない膨大な紆余曲折がある訳ですが、それはどんな仕事だとしても同じことなので、整備士だからどうだという事もないのですが、個人的な極みとしては紆余曲折を大きくしてしまった感が否めません。

この2年間、純粋に騙しのない仕事(自分にも、お客さんにとっても)をやり続けて、為替や、時代の流れ、景気の動向など無視して良質な作業、良質な対応、安価な価格を心掛けて参りました。

それは当初思っていた以上に、やはり大変な事でした。

儲ける気が無いというとそれまでですが、儲けがないという事はお客さんにとっては良質な店なわけで、安かろう良かろうの店がこの世にあればそれは一種のモデルケースとして稀有な物であると思っている節があります。

経営者的感覚で行くとこれ論外なのですが、まぁ幸い店主は身が軽い物で・・・。

無茶苦茶な事をやっています。

ただ、これは以前も書いたことがあるのですが、店主の幸福論は少々ずれている様でして。
確信に至ったのは芦田屋を初めて直ぐです。

店主はお金があまり欲しいと思わない。 仕事に纏わること以外で、ワンコインの飯を食う以外に必要としていない。 服も毎日同じで良い、車も何とか動いている15万キロのトラックで良い。 ご飯は消費期限過ぎても気にしない。 靴下も穴が開いているが気にしない。 下着のシャツは5百円3枚で買った物を5年来ている。 寝巻は中学生から変わっていない。 

唯一欲しい物は、心を揺さぶる古本の小説、1冊200円で1カ月楽しめる。 欲を言えば、公園で晴れた日にベンチに寝っ転がって小説を読みたい。 それだけである。

あとは誰かが店主の仕事で嬉しそうに笑ってくれるとそれが全ての結果でOK。

本当はお金は払って欲しくない、その方がお客さんもバイクに長く乗れると思う。

でもお金がないと家賃が払えないので仕方がない、それは助けてもらいたい。 それだけである。

そんなスタンスで経営してるもんで、いつもギリギリの低空飛行でよくまぁやってけてるもんだなぁと自分で感心したりします。(笑)

でもまぁ、一つこういう形を作っておきたかった。

会社員としての整備士はずっと変わらないスタンスで続ける事は難しい一面があります。

事情は色々だとしても、店主みたいな経営に向いていない整備士でも、真っ直ぐに実直にやっていれば、独立も一応できるから。

もし、どこにも行き場がなくて、もうこれ以上頑張れない、もうこれ以上は支えきれない、
どうにもならなくなった時には、独立するのもアリなのだよと。

だから、ずっと整備士辞める必要は無いよと。

そんなこんなで不器用な職人さんが良きれるモデルケースを作る事2年。

まぁまぁ、こんなスタイルのバイク屋さんもこの時代に出来上がってきました。

金儲けする気はないですが、バイクいじる気は満々です。

金儲けも、食事も、トイレも全部めんどくさいから興味ないですが、バイクいじりだけやる気あります。 別に有名店にならなくてもいい、巨匠と言われる必要もないと思う、ブームも気にしなくていい、神様みたいに棚の上に登らなくていい。

初めからそんな事気にしなくていい。 素朴なままで、やりたい事を思い切ってやればいい。 

ただ、一つ継続できる条件があります。

誰にも負けない位輝かしい腕の見せ所を一つ磨き続けないと成立しないという事。

それだけは絶対に誰にも負けない、それを求めてお客さんが集まる。 それがないと、この話は全て水泡に帰します。

この話で誤解が出るとすれば、バイクショップはやる気がなくても経営できるよ、簡単だよと言いたいのではない。 金儲けする気がないのに、経営が破綻しないのは、逆に矛盾を突破していてとんでもない事である。 逆に難易度が高いのだよと言いたいところを注記しておきたい。 だから面白いよと言いたいところである。

そんなモデルケース活動も、2年目を越えて、次のステージへ進みつつあります。

こういう事は出来るかな?と思いつつ、できると思ったらやらないと気が済まない。

前代未聞の新しい形がお見せできるかもしれません。 でもあまり期待しないで下さい、余りやる気はないので。




杉並区に広大な緑に囲まれたとても大きな神社があるのをご存じですか? 知らないことって実は良い事なんですよね。 知らないから事が始まるんですよ。








2022年5月5日木曜日

芦田屋林道部ツーリングのお知らせ

 いつも芦田屋ブログをご覧頂き誠にありがとうございます。

今年の連休は不思議なもので、コロナウイルスの影響をほとんど感じさせることなく、各所でおお賑わいの様子。

ですが感染者数だけで見るとまだ東京都一日数千人ですから、一体何がどうなっているのやら。

一番はやはり重症化リスクの軽減に端を発するのではないかと。

それに伴って、もはやどうでも良い事と言うと軽率でしょうか、個人個人にとって、さして大きな問題ではなくなってきた?

ロシアの暴走でそれどころではない?

まぁ要因はなんであれ、日常が戻りつつあることには、歓迎ムードにならざるを得ません。

しかし、どのタイミングでマスクを外すのか。

誰かの鶴の一声でもない限り、マスク解禁!とはならない位に長かったですね。マスク生活。

まだ続いていますが。

もはや出かける時にマスクを忘れると、ギョッとしますから人間慣れればここまでくるかという感じです。 パンツ履き忘れても、マスク忘れるな状態です。

ところで、5月22日は芦田屋林道部でまた近場のダートに遊びに行ってまります。

22日は終日店舗クローズとなりますので、予めご了承くださいませ。

ご不便をお掛け致しますが、何卒宜しくお願い申し上げます。


芦田屋店主


2022年4月18日月曜日

はげ山のオウム

少年の頃の記憶というのは、概ねあやふやで今思い出そうとしても、ぼんやりしていてはっきりとしないものが多い。

しかし、そんな中でも、まるで昨日の事の様に鮮明な物が幾つか混ざっているのは、不思議なものだと思う。

一昨日何を食べたか思い出せない様な店主でも、恐らく推定5歳程度の記憶で鮮明な物がある。

それがどこの場所だったか、全く分からない。 

友人と遊んでいた時の記憶なので、年齢的に自宅の近所だったのは間違いないと思うが、38年も経った今では、当のその場所も、恐らく存在していない可能性が高いが、それは小高い山だった。

山、そう山だった。

と言っても、登山するような山でもなく、何というか、記憶の中では、周囲一面が整然と田んぼに囲まれていて、その田んぼの中にポツンと小さな山があったのだ。

その山は小さいながら緑が生い茂っており、鬱蒼とした緑に斜面が全体的に覆われており、当時5歳の店主にとってはインディジョーンズになった気分で、その茂みの中を踏みしめて冒険したことを覚えている。

山の中には幾つかの獣道があって、その道を辿って冒険したのだが、恐らくその回数は1度だったのだと思う。

たった一度だったのになぜそれ程に記憶に鮮明なのかと思われるかもしれない。

そう、其れには理由があった。

その山の頂上近くで、ある物を目にしたことが記憶に鮮明過ぎる程に鮮明だ。

少し高い木の枝に、番のオウムがいたのだ。

丁度こんな色だったと記憶している。


何故其処にこんなオウムがいたのか? あれは何だったのだろうか? 今でも謎めいている。

3人か、4人いたか定かではないが、5歳児にとって、謎多き山の茂みの中で、このオウムが突然現れたことの衝撃は、何か狐に摘ままれた様な、狸に化かされた様な。

何とも言えない、大人が見る様な、少し危うい映画を盗み見てしまったような奇妙な気持ちになったのを覚えている。

そのオウム。

我々のパーティがあっけにとられている刹那、飛び去った。

まるで元から其処には何もいなかったかのように、飛び去ってシンとした。

漫画で描かれるそのワンシーンの様に、子供達は目を合わせて胸を震わせた。

今の見たか? 今の何だ?

その時の少年達の目の輝きが、今はもう、果てしない想像の世界に近いが、ダイアモンドの輝きに近い、純粋な光の乱反射で煌めいていた事を今以て期待したい。

店主にもそんな瞳の輝きがあったことを、あの山を思い出す度に期待してしまう。

オウムの個体が健全なら、もしかしたらまだあのオウムは生きているかもしれない。

会ってみたいものだ。 椎名林檎氏に言わせれば、波を止めるよりは簡単な気もする。

あの山の名前は憶えている、通称”はげ山”だった。











2022年3月22日火曜日

芦田屋休業日のお知らせ

 いつも芦田屋ブログをご覧頂き誠にありがとうございます。

本日は休業日のお知らせになります。

来る4月6日は私用の為、店舗がお休みとなります。 

とある記念日となる10年目の節目となりまして、家族サービスに邁進してまいります。

5月11日~12日の間も店舗お休みとなります。

実家を出て早20年、残り少ない両親との時間を過ごす貴重な機会となりそうです。

縁起でもありませんが、ありったけの体力を費やしての両親の上京となります。

最後かもしれませんので、やはり店舗はクローズとなります。

予め、ご了承の程宜しくお願い申し上げます。


芦田屋店主


夏季休暇のお知らせ