滑り込みもいい所である。
月一回の更新をモットーにしておりましたこの町工場の夕日ですが、いよいよ途絶えるかという所で強引に本日時間を作って書く事に致しました。
本来はお見積もりの提出が多く溜まっておりまして、その他メールの返信、ラインの返信、SMSの返信、電話の折り返し、数え切れませんが、本日の優先順位を一気にブログへシフトしてみました。
遠くを見れば、今宵も心の中に真っ白な富士山が見えそうな遠い目をした芦田屋店主でございますこんばんは。
思えば年始から、早速ご想像に難くない無休の日々を貫いておりまして、明らかに昨年よりハイペースでございます。
そんな事では人生が全て仕事だけで終わってしまうぞと思った昨年末の反省が全く反映されておらず、行き交う山手通りの車の流れを制御できないかの如く、青山通りを颯爽と歩く美女の歩みを止められないかの如く、自分の人生であるにも関わらず、自身で制御しきれないこの人生の貴重な時間のジレンマはあたかも宇宙の法則かの様に思います。
今年も早3月という事だが、この2カ月は体感的には2秒というところか。
いつもブログネタに困らない様に、ネタをメモしたりするのですが、これがまた役立たずでして。
本日はそのネタを使ってみるかと思い至り、メモを見返したところ。 こう書いてあった。
”ウラ話 東京ではなかった”
なんだこりゃ?
さっぱり思い出せない、何がウラ話なのか自分でもさっぱり分からない。
東京ではなかったって、何が東京ではなかったのだろうか。
他にもいっぱい書いてあるのでご紹介致します。
”家の前に空き缶すてる奴”
”蜘蛛が愛おしい”
”ゴールド免許”
”人生の所業は最後はゼロ”
他にも色々とありましたが、全部思い出せない。 一体これはどういう事だろう、全て思い出せない。
”家の前に空き缶すてる奴”はかろうじて当時腹が立っていたのだろうかと思い出すが、果たして今現在そこまでムカついているかと言えば、特にどうでも良いかなという感じである。
最後に一つ書いてあったのが。
”人を怒らせてしまっているかもしれない”
というのがあった。
これはちょっと妙に刺さる物があった、自分で書いておいてなんではあるが。
これをメモした当時、怒らせてしまう事を反省したのか、後悔したのか、思い出せない。
怒らせないという手段も時には必要、怒らせても構わないという信念の一貫性も必要だと思ったのだろうか。
とても難しい匙加減の話だなと思った。
怒らせても構わない思想や主義の慣行であれば、それが大きなスケールなら争いになる事もあるだろう。
かたや自分を曲げて相手のご機嫌を伺うのは自分がない人間ともいえる。
どこからどこまでが線引きできるのか? 誰が線を引くのか?
店主はどちらかというと日常的に平穏の為に簡単に自分を曲げる人間であるが、ここぞという所で頑固さを持ってしまう。 それがとても相手を不快にさせてしまう事もあると思う。
そんな簡単に分かっている事でも、容易に自分でコントロールできないものである。
少なくとも、小難しい哲学の真似事を書いているこのブログは自分を曲げていないのでとりあえず良しとしておきたいところである。
ところで趣味の小説が全く書けておりませんで、小説は書くのは苦ではないのですが、物語に入り込むのに多少の集中力と、精神的なコントロールが必要になります。 店主の場合。
言うなれば、書いている最中はもはや当人は夢の中の人になっておりまして、目はうつろで、心は現世に居ないかのようなトランス状態に入ります。
近頃お店の方で色んな問題が出たこともあり、そんな目がうつろな人間がこなせるような現場ではなかったので、書けるコンディションに至らずでして。
またコンディションが整い次第再開したいと思っております。 あくまで趣味の範囲で。