2023年3月16日木曜日

キエル魔球  ~種田ホープ軒~

キエル魔球


プロローグ 

黄色い服装が目立つ観客席から湧き立つ声援。
満員の甲子園球場のアナウンス席で、野球中継アナウンサーの駒田が鬼気迫る実況を繰り広げる。

「何という劇的なゲームなのでしょうか、セリーグ王者を決めるこの試合。 9回裏阪神ブレイブスの攻撃、中日キングスが1対0でリード。ツーアウト、ランナー1塁、カウント2ストライク2ボール。 守るのは中日キングス。 バッターは國山、ピッチャー先発からここまで投げてきた種田。 岸本さん、ここまでやはりほぼ完全無欠の投球を続けた種田選手、やはり次の球もキエル魔球でしょうか?」

「やはりそうでしょう! 國山選手に対して、種田の他の球種ではとても太刀打ち出来ないでしょう。 種田でなくとも、打率4割3部の國山にとってキエルマキュウ以外は通用しないと思いますよ!はっきり言って種田のもう一つ球種ストレートはこれまで残念ながら全く結果を出せていませんからね!」

「そうですか、ここまで消える魔球でノーヒットノーランでしたが、9回裏1番バッター樫本に対して痛恨のデッドボールを出してしまい、迎えるは、打席に立てば半分近い確率で出塁出来る、もはや神の領域と呼ばれる4番國山選手、流石の國山選手もキエル魔球相手にこの回まで快音は聞こえてません。 一方、唯一の武器である消える魔球を使う種田選手、逆転圏に入ってしまうランナーを出し、苦しい展開になってしまいました。 さぁ、キャッチャーからサインが入ります。 種田、首を縦に振った。 決まった様です。 投球モーションに入ります。」

ピッチャー種田は投球モーションに入り、超人的に長い指を赤いボールの縫い目に決まった角度に這わせて手首の力を抜く。

必要以上に大きく身体を捻り、後方へ振りかぶって、サイドスローに近いモーションを行い、血管が破れるのではないかというくらいの全力でボールを全身全霊で投げ放つ。

その瞬間、球場全体が水を打った様に静まり返り、時が止まる。

球は種田の指の腹を転がる様に回転して手を離れ、バックスピンを繰り返しながら上下左右に揺れる、揺れて、ブレて何処へ行くのかわからない様な不規則、不自然、不安定な軌道を取りながら、丁度バッターボックスとピッチャーマウンドの真ん中辺りで"消える"。

國山のバットが神がかったスピードでスイングされる。

甲子園球場が大歓声に包まれる。

種田は思う、やっとこれでクソッタレの野球人生におさらばだと。


種田ホープ軒

大田区の蒲田にあるラーメン屋の赤い年季の入ったテーブルの上にビールの中瓶が2本並んでいる。 グラスには半分程度のビールを残して、飲みそうで飲まない中年の男が、テレビの野球中継に目が釘付けになっている。
隣の席では20代の若者が、無我夢中で麺を啜り、左手に箸、右手に蓮華を持ち、スープと麺を交互に口にかき込んでいる。

「いやーダメだ!監督もうダメだよ、スタミナ切れだよ、変えてあげなきゃ…ダメだこりゃ。
ねえ、おやっさん、そうでしょ? いくらエースだって言ったって、抑え投手を育てられてないからこういう無茶な使い方しなきゃいけなくなるんだよ。 ねえおやっさん。」

聞かれたラーメン屋の店主は苦笑いだ。

「おやっさんならどうする? こんだけ後半撃ち込まれてボロボロな奴に、それこそエースに無茶させるかい?」

店主は黙々と餃子を皮で包みながら、答える。

「うーん、どうかなぁ、投げさせて欲しい時もあるしねぇ、色々心配で投げたくない時もあるしねぇ、どっちだろうねぇ。」

それを聞いていた若者が食を止めて、尋ねる。

「なんで山さんはさ、ここのおやっさんに野球の事そんなに聞くの? おやっさんは野球に詳しいわけ?」

「バカガキかオメェは、この人は昔プロだったんだよ、わかる? プロ野球選手! 知らねぇか? 投手種田と言えば、アレだよ、あれ、キエルマキュウ!」

「えー!おやっさん野球選手だったんすか。すげぇ、知らなかった。 つーか、なんすか、キエルマキューって。」

「ノータリンのボンクラガキだなお前は、消える魔球だよ、冗談抜きで球が投げた後に消えたんだよ。 そりゃあお前、30年前の伝説だよ」

「え!マジすか、消えたら無敵っすね、絶対打てないっすよ、エモい。」

「あ?エモ?まぁとにかくだ、種田のおやっさんは昔は伝説の男だったんだよ、今はこんなラーメン屋、、ああ、すまねぇ、美味いラーメン屋の店主だけどな!」

そこでやっと種田が口を開く。

「あー山ちゃん、もうその辺で勘弁して頂戴。 あんまり野球は思い出したくないんだよ」

「え、おやっさんでも毎晩野球中継テレビで流してるから、俺はてっきり今でも野球好きなのかと思って」

「うんまぁ、野球はね、今でも好きだけどね、いろいろあったから。」

若者は言う。

「何があったんすか?」

種田が口を挟む間もなく、中年の男が開口一番代弁を勝手にしてしまう。

「あぁ、そりゃお前聞くだけ野暮ってもんだよ、考えてみろ、プロの世界で、あいつらガチンコで死ぬ程練習して、厳しい競争の中でプロになって、そこからお前、更にレギュラーの座を争って、なんとか食っていくわけだろ? それも相手は全員日本全国からの野球天才児の集団の中で勝ち残った連中だぞ
高校野球だってそうだ、予選を勝ち進んで、甲子園に進むだけでもとんでもない事なんだよ、更にプロになる連中はその中のほんの一握りだ。
プロ野球の世界でも全く活躍できずに引退していく奴もいる、2軍から上がれずに終わる奴だっているわけだ。
それを球が消えるというとんでもない天賦の武器を持ってしまったんだ、周りでは色々起こるだろうよ。 昔はインチキ投手なんて揶揄する連中も居たよなぁ、一度は科学的な検証までどっかの大学研究所の偉いさん巻き込んでやってたもんなぁ。 なぁ、おやっさん。
要するにインチキしてるんじゃないかって、世間が騒いだのさ。」

「うわー、超大変そう、オレ無理っすわそういうの。 だっておやっさんインチキしてなかったんでしょ?」

「そうだ、この前教えてくれたけど、おやっさん自身、なんで消えるのか、自分でも分かってなかったんだってさ。 おやっさんはおろか、世界中が注目して、みんなこぞって研究したけど、結局分からなかった。 んで、一番凄かったのは最後の試合。 種田vs國山だよなぁ。 ねぇ、おやっさん。」

「あぁ、國山さんね、凄い人だったねぇ、生きてれば65歳になるのかなぁ。 最後にあの人と戦えて良かったよ」

「なるほど〜ライバルってやつっすね!いいなぁ、オレもライバル欲しい〜!」

「このポンコツクソガキ、無職のお前にどうやったらライバルが出てくるんだよ!仕事しろ仕事!」 

「それもそうっすね、オレおやっさんの店で修行しようかな。」

「うん? あぁ、やってみる?良いですよ、今ワタシも引退したくて後継考えてたしねぇ。 まぁ、本気なら。」

種田は微笑みながら言う、無職の若者の無邪気な世間知らずさに、少しホッとする。

種田は齢66歳になった今でも考える事がある。
結局の所、あの消える魔球というのはなんだったのだろうか?

あの球が投げられなかったら、自分の人生はどうなっていただろうか。

今でも思う、國山さんなら答えてくれるんじゃないかって。続く





なかなか小説を書く時間を捻出するのが至難の業になってきて、頭の中でストーリーだけが構築されていく日々が続きましたが、何とか着手まで。
着手したのは良い物の、少年野球をやっていた頃から31年も経ってしまい、野球のリアルな部分を書くのがとても難しい。
今でも大きな公園に行ってみると、少年も、大人も、一般に貸し出ししているグラウンドで野球をやっている姿を遠巻きにぼーっと見ていたりする。
今、思いっきり球を投げたら肩がおかしくなるのかぁとか思ったりする。
自由奔放に転がる白いボールに、だだっ広い場所、真ん中に立ってみると、何かの演劇の舞台の主人公になったような気分になったりする。
丁度大谷選手が大活躍しているWBCも相まって、野球の話は書いていると結構面白い。
大谷選手も超人である、それはそれで現実世界の超人である。
しかしながら、ここで出てくる種田は、超人ではない。 ただ妙な球をたまたま投げられるだけの、他は全て落第点の貧弱な投手。 彼がキエル魔球を交えて過ごした人生は幸福と苦悩に満ちていると思う。
きっと、もしキエル魔球を投げる選手がいたならば、きっと幸福ばかりではないだろうと。
そんな小説である。




キエル魔球 ~種田ホープ軒~ その3 種田と國山

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