しかし、そんな中でも、まるで昨日の事の様に鮮明な物が幾つか混ざっているのは、不思議なものだと思う。
一昨日何を食べたか思い出せない様な店主でも、恐らく推定5歳程度の記憶で鮮明な物がある。
それがどこの場所だったか、全く分からない。
友人と遊んでいた時の記憶なので、年齢的に自宅の近所だったのは間違いないと思うが、38年も経った今では、当のその場所も、恐らく存在していない可能性が高いが、それは小高い山だった。
山、そう山だった。
と言っても、登山するような山でもなく、何というか、記憶の中では、周囲一面が整然と田んぼに囲まれていて、その田んぼの中にポツンと小さな山があったのだ。
その山は小さいながら緑が生い茂っており、鬱蒼とした緑に斜面が全体的に覆われており、当時5歳の店主にとってはインディジョーンズになった気分で、その茂みの中を踏みしめて冒険したことを覚えている。
山の中には幾つかの獣道があって、その道を辿って冒険したのだが、恐らくその回数は1度だったのだと思う。
たった一度だったのになぜそれ程に記憶に鮮明なのかと思われるかもしれない。
そう、其れには理由があった。
その山の頂上近くで、ある物を目にしたことが記憶に鮮明過ぎる程に鮮明だ。
少し高い木の枝に、番のオウムがいたのだ。
丁度こんな色だったと記憶している。
何故其処にこんなオウムがいたのか? あれは何だったのだろうか? 今でも謎めいている。
3人か、4人いたか定かではないが、5歳児にとって、謎多き山の茂みの中で、このオウムが突然現れたことの衝撃は、何か狐に摘ままれた様な、狸に化かされた様な。
何とも言えない、大人が見る様な、少し危うい映画を盗み見てしまったような奇妙な気持ちになったのを覚えている。
そのオウム。
我々のパーティがあっけにとられている刹那、飛び去った。
まるで元から其処には何もいなかったかのように、飛び去ってシンとした。
漫画で描かれるそのワンシーンの様に、子供達は目を合わせて胸を震わせた。
今の見たか? 今の何だ?
その時の少年達の目の輝きが、今はもう、果てしない想像の世界に近いが、ダイアモンドの輝きに近い、純粋な光の乱反射で煌めいていた事を今以て期待したい。
店主にもそんな瞳の輝きがあったことを、あの山を思い出す度に期待してしまう。
オウムの個体が健全なら、もしかしたらまだあのオウムは生きているかもしれない。
会ってみたいものだ。 椎名林檎氏に言わせれば、波を止めるよりは簡単な気もする。
あの山の名前は憶えている、通称”はげ山”だった。