44歳というと、そういった年齢なのだろうか。
随分と気も長くなり、客観的に見てもこれは痛いな!という言動を回避できるようになってきて、立ち回りも随分と器用になった実感がある。
それを会社員時代にやっとけよという話であるが、30代の店主は不器用であった。
頑なであり、自信家であり、努力家であり(日本的には自分で言うべきではないが敢えて明快な文脈にする為)、20年以上の現場経験値があり、それらが周囲との少なくはない摩擦抵抗係数として潜在的に自身にストレスを与えていた様に感じる。
無論周囲に対してもストレスを加える存在だったのではなかろうか。
元々気難しい事を考える気質なので、シンプルイズベストの思考回路の人間や、超楽観的な人からは煙たい存在であったと思う。
ある人には根暗と言われたこともある。
が、根暗ではない、物事の正体を、哲学的な部分と社会学的な部分とを分け隔てて考えたいだけである。
まぁそんなことはどうでも良いのだが、40代も中盤になり、30代の若い方々の言動をとてももどかしく感じるようになってきた。
もどかしいまでは良いのだが、そのままではうまくいかないぞいう言動を如何に良好な結果を出せる様に指南するべきか。
対人とのやり取りの中で、論理的にはそれで良い、理屈は確かにそう、あなたは間違ってはいないのだが、、、そこはへりくだって忖度しなくては相手は心地良くない。
その相手にその経験値を真っ直ぐぶつけるのは絶対上手くいかない。
そういった事が凄く分かる様になってきて、それを攻めの一手で戦う30代を見て、店主の様な年代はどう導く、はたまたアドバイスしてあげる(30代にアドバイスはとても難しい、良薬口に苦しになりがちである)のが王道であるのか?
いや、王道はなくとも、最大限の良好な結果を導き出すにはどのような立ち振る舞いを見出すべきか?
そんな取り付く島もない様な事柄をぼんやり考えたりする日々ですが、まぁ組織を完全に抜けた浪人の立場でありますから、後輩の世話も下手をすると余計なお世話になりかねませんから、程ほどにしつつ。
いつもまでも頼りがいのある、安心感のある先輩で居てあげたいなと思ったりしています。
自分には最終的にそういった先輩は一人か二人になってしまいましたから。
今でも思い出すのは、30代の頃は上司と呼べる人にあまり尊敬できる人はあまりいなかったような、、、。 思えば悪い人ばっかりだっただろうか。
だが、そのこと自体は悪いとも思わない、世界には良い人と悪い人が両方いてその割合は常に社会的な大きな力によるバランスであるから、個人にとってコントローラブルではないし、操作不能なラプラスの悪魔的な運命の部分が大きい。
途轍もなく非合理的な業務を指令を受けたりして、それを真っ向から非合理的な部分を指摘してあたりが強くなってしまい随分と肩身の狭い思いをしたこともありつつ。
そんなことも思い出していると、30代は第2の思春期とも言える様な気がしてならない。
そんな思春期に入った大の大人の取り扱い、世の40代のおじさん達は大変苦労を重ねている事だろう。
50代に入ればまた新たな境地が見えてくるのだろうが、当然店主にはまだ見えない。
だから先輩方のお話は慎重に、心の耳を傾ける様にしている、そんな事は知っているというような話でも、先入観は一度捨てきって、やはり改めてじっくり聞く様にしている。
そうすると、重要な補足事項が含まれている事に気付いたりする。
やはり40代、この辺りが結構器用だぜ。
しかしそうやって50代、60代とやって行く内に、あら不思議、ぽっくり逝ってしまうのか、儚きかな人間の一生。
人間性の完成とは一生を終える事に帰還してしまうのだろうか?
まぁどうでも良いんですが、11月にレース復帰予定なのですが、今から恐くて仕方なくて。
ずっとこれまで一度も怖くなかったんですが、不思議です、怪我や転倒でお店に何かあるとどうしようかと恐くて仕方ないです。
この雨が終ったら漸く秋が来るのか。