鬱蒼と茂った竹林の麓に見える家が一軒見えてきた。 竹林は地震に弱いと聞いた事があるが、駒田氏の家屋の裏は正しく竹林の急な傾斜になっている。 土砂災害は大丈夫なのだろうかと加藤は他人事ながら心配になってしまう。
駒田氏の自宅に限らず、都心を離れて地方の取材に行った際などは、いつも山の麓にある家々をぼんやり見やりながら、土砂崩れの被害は起きないだろうかと、勝手に心配したりしてしまう。
きっと家主からすると余計なお世話だと言われてしまう様なお節介な心配だが、実家の立地を考えると、他人事ではない様な気持ちになってしまう。
駒田氏の電話での対応は当初、至って歓迎ムードであったが、國山選手の名前が出た途端に少し雲行きが怪しくなった。
「あぁ、國山選手ですか、私で何かお役に立てるかどうか。 他の選手ならともかく、國山さんは特に知っている事が少なくて。」
「その旨重々承知しておりますので、是非些細な事でも構いませんので教えて下さい、どうか宜しくお願い致します!」
「ええまあ、関君のご推薦とあらば、出来る限りではありますが、お役に立てる範囲でお答えさせて頂きます。」
そんなやりとりの後、失礼かと思いながらも、加藤は駒田の自宅までその日の内に突撃取材を強行する段取りを採った。
とても古い家屋なのか、昔ながらの職人大工が田舎の一軒家らしく設計した木造建築の広く立派な一軒家だ。 玄関は引き戸になっており、ガラスが懐かしい粗目の細工が施されており、建て直す前の実家で過ごした少年時代を思い起こさせる。
雨戸は木製でこれもかなりの年代物だ。
「ごめん下さい、いらっしゃいますか? 中日スポーツの加藤と申します!」
奥の襖がサラリと動き、中から見た所70代前半と思わしき老人がソロソロと出てきた。
細身で華奢ではあるが、背中は伸びて凛々しい。
着ている物も部屋着ではあるが、清潔感があり、一流の実況アナウンサーの引退後のご隠居姿としてはとても感服できる物があった。
「あぁこれはこれは、加藤さん。 遠い所までご苦労様でした。 改めまして、駒田と申します。 お疲れが出たんじゃありませんか? なにせ東京から埼玉の山奥までだと道も混んでしまうし、運転大変だったでしょうに。」
「いえ!全く問題なしっす。 東京からだと秩父迄せいぜい2時間程度でしたから。」
「そうですか、加藤さん見た所、失礼かもしれませんがまだまだお若いですよね? いや、お若い方は羨ましい。 体力があるというのは、本当にありがたい事ですよ。」
「はい、自分は今年で28歳になります。 そうですよね、自分も10代の頃より体力が落ちてきたような気がしてまして。」
「あぁ、それはね、そうかも知れませんねえ。」
駒田が言う所の体力差という物と、加藤が感じる体力如何の話に齟齬を感じながらも、やはり齢70も越えた駒田はサラリとその意味合いのズレも受け流し、初対面で感覚的な物事の差をパズルを組み立てる様に、奇麗に埋めて行ってしまう。 歳の差44年の経験値の差は如実である。
「まま、どうぞ奥へお上がりください。 お茶とコーヒー、よく冷えてますよ。 どっちも出しますからお好きな方で。 ついでに昨日買っておいた回転焼きがありましてね、一緒に召し上がってください。」
「あ、どうぞお構いなく!しかし、回転焼き?回転焼きって何ですか?」
「ああ、回転焼きってね、関東では今川焼でしたね。私の両親は関西出身で、関西では今川焼の事を回転焼きと言いましてね、私は物心付いたころから両親から回転焼きと刷り込まれたもので、今でも回転焼きと言って食べないと、気持ちが盛り上がらんのですよ。」
「そうなんですね、自分は出身が千葉なので、全く聞いた事がありませんでした。」
「さぁ、それより國山さんの話ですよね、しかし加藤さんも物好きですね。 もうずっと昔の選手ですよ。 とうに亡くなられていますし、そもそも彼の事を安易に語って良いのかどうか。」
「どういう事ですか? 語って良いかどうかというのは。」
「ああ、それはね。私自身はね、彼は死んでないんじゃないかと思ってる節がありましてね。 何と言ったらいいか、言葉にするのは難しいですがね。 彼は死なない人ではないかと。 人っていうか、何というか。あの人に初めて会った頃からそう思ってましてね。」
「一体どいうことですか? 死んでないって。確かに國山さんは故人であると、法的にも社会的にも認知されてますが、、」
「それはそう、確かに。 だけどね、会ってよく話した人にしか分からないんですよ、あの人はね。 そう、初めて会った時の事ですがね、球場の関係者専用駐車場で偶然ばったり会った事があったんですよ。 丁度その年、彼は三冠王を総なめして天才バッターの名をほしいままにし始めた頃でした。 私は嬉しくてね、話しかけてしまったんですよ。 いきなり。」
國山選手が突如彗星の如くプロ野球界に現われ、2年目にして三冠王を達成したシーズンの終わり頃。
偶然、選手控え室を後にした國山選手が、時を同じくして、帰りの車に向かう駒田が偶然会った時の事。 國山の後姿を見かけた駒田は嬉しさのあまり、野球関係者でありながら、一般人の様な反応をしてしまい、思わず國山を呼び止めてしまった。
「國山さん、お疲れ様でした! 今年は素晴らしいご活躍で、もう感動しっぱなしです。 すみませんお帰りの所話しかけてしまって。 申し遅れました、私テレビ放送の実況中継を担当している駒田と申します。」
「にゃ?」
「え?」
「お前誰にゃ?」
「??ああ、失礼しました、私アナウンサーの駒田と言います」
「駒にゃ?それで何の用だこのガリ勉アナウンサー。」
「え!いや、すみません、ごめんなさい」
「ん?ちょっと待てにゃ、少し翻訳デバイスが、、いや、俺の頭がおかしい様だ。」
そう言って國山はコメカミを自分自身で恐ろしい程にパンチする。
「頭がおかしいって…國山さんあなた一体」
「いや、これで良い。 失敬、大変失礼な事を言ってしまいましたな。 初めまして、駒田君。 國山です。 お褒め言葉、ありがたく頂戴しておきますよ。」
「はぁ。いえ、お気になさらず。 それにしても、驚異的な記録づくしですね、今シーズン。
私もそれなりに凄い選手の方々の記録を直に見てきましたが、とても人間技とは思えません。 特にシーズン終盤で本塁打59本は王選手を越えて日本記録ですよ、とんでもない事です。」
「ああ、それはそうみたいですね。 まぁ本当はもっと打てるんですが、あんまりやり過ぎると怒られるというか。 一応研修の一環でもありますから、その、バーブルース?さんですか。 その方を越えないようにと、上司からお達がありましてね。」
「!?ちょっと待ってください、色々とよく分からないです。 バーブルースって、あのベーブルースの事ですか? 何を仰ってるんですか? どういう事ですか? もっと打てるって。 本気じゃないと? 」
「あ、いや、本気ですとも。勿論、あんな白い玉っころ位、棒キレを振れば、まぁパコンと飛びますよね。」
「國山さん、あなた一体さっきから、私をバカにしておりれるのですか!私だって野球の事は、素人より多少は分かりますよ。」
「あ、人間が怒った、まいったにゃ、人間はすぐ怒るにゃ」
「もういいです、失礼します」
駒田と國山の出会いは良いものでなかった。
「加藤さん、まぁ信じがたい様なやり取りですが、ざっと初めての会話はそんな様だったと記憶しています。」
「冗談を言っておられたのではなくて?」
「今思えば、あれは特にふざけてる訳ではなかった気がします。 何というか、意思疎通が通じないというか、変な感じでしたね」
「國山は宇宙人ではないか。 それですか?」
「まぁ、所以はそこにあります。 ただ、彼の肉体も精神も、客観的に見て普通の人間でしたから、明らかな見た目の違和感は無いですが。 ですが、もっとも凄かったのはやはり、試合、彼のプレーですね。 物凄いプレーだった、本当に。 その中でも、特に今でも忘れられないゲームがありました。 折角なので、そのゲーム内容をご説明しておきましょう。」
「是非!宜しくお願いします。」
加藤はもはや駒田の二の句が継がれるのを、溢れんばかりの期待と逡巡を抱えつつ、固唾を飲んで待つ、且つて実在した、人間ではないと評される驚異と伝説に触れる為に。
アナウンサーと野球選手がそもそも接見する機会などあるのかどうか、そもそもそこからして知識がないので、色々と調べてみたら女子アナとプロ野球選手が出会う為の会が存在することを知ってしまい、下世話な知識がまた一つ増えてしまったので早々に消去したい。
最近というか、この3年程ほど良く意識している事がある。
お世話になった人に出来るだけ恩返ししながら生きていこうと思って、無理のない所で返せるだけ返すように努めている。
どうだえらいだろうという事ではなくて、受けた恩は借りた金と一緒でお返ししてプラマイゼロだと思うので、借りている物はやはり返すのが当然だと思うようになった。
恩返しして、その人がちょっとホッコリすると店主も嬉しい。
反面、芦田屋に大損害を与えてしまう人も現れる様になり、まぁそれに驚いて腹を立てる程、店主小物ではありません。一応ですが、そういうのも原子の動きとして、経験上知っているんです。
それを踏まえて動いているので、なんくるないさ。 波照間島が俺を待っている。
國山選手のキャラを考えすぎて店主自身が変になりそうです。
おあとが宜しい様で。