2022年11月10日木曜日

河川敷ファーザー Vol.2

 冬の夕暮れは、気が早い。

こんなにも早い時間なのに、何だか早く家に帰りたくなるような気分になる。

俊男は6時間目の授業を終え、一人足早に帰宅を急ぐ。 手短に教科書を鞄にしまって、クラスメイトとの一日の終わりの談笑も早々に切り上げ、先ずは教室の出入り口の様子を確認する。

俊男は考える。 よし、ここにはまだ来ていない、あいつらに見つからずに帰るには人気のないルートで学校を出ないと。 だけどその後は、どうすれば良い? 多摩川の河川敷に呼び出されている。 これを無視したら、一体僕はどうなるんだろうか? 僕は一体これから何をされるんだろう? どうすれば良い、恐い、とにかく恐くて仕方ない。

下校を一斉に始めた生徒たちでごった返す下駄箱のエリアを柱の陰からこっそり覗くと、やはり件の不良グループは待ち構えていた。 いや、待ち構えているというより、普段からダラダラとたむろしているのだ。 しかし、どうだろうリーダーである長身の少年、東海君はいないようだ。 

登校した際に予め下駄箱に立ち寄らなくて済むように運動靴を鞄に仕舞っておいたのは正解だった。 

急いで下駄箱には寄らず、職員室の前を通過して正門と逆方向へ走る。 

裏門から遠回りをして普段の下校ルートを外れて帰る。 その場は何とか彼等からは逃れられるだろう。 だけど、その後はどうしたら良い?その事を考えると、まるで宇宙空間に放り出された様な孤独が襲う。 喉の奥の方が詰まる様な気がして嗚咽を漏らしそうになる。

何故こんなにも辛いのだろう、何も悪い事はしていないのに、何故こんな目に遭うのだろう。 その質問をする相手もなく、自問自答が余計に悲しくなる。

体の弱い母親の顔が浮かぶ、また泣きそうになる。 助けて欲しい、だけど母さんは体が弱い、心配を掛けたくない。 

普段のルートから外れた道順で遠回りしたせいで、帰宅が遅くなってしまった。

母親「お帰りトシちゃん、遅かったわね。 何かあったの?」

俊男「うん、友達と喋りながら帰ってたら盛り上がっちゃってさ。公園で喋ってたんだ。」

母親「そう、、友達ってみっちゃん?」

俊男「うん、、」

母親「トシちゃん、母さんね、ちょっと心配でね、怒ってないから本当のこと言って欲しい。 母さんみっちゃんが一人で帰るところ見かけたんだよね。」

俊男「え!なんで知ってるの?」

母親「俊樹さん、お願い。」

俊樹「俊男、母さんは別に尋問したい訳じゃない、ただ心配なんだよ。理由はお前分かってるんじゃないか?」

俊男「分かんない、僕はいつも通りだしなんで急にそんなに心配されなきゃならないわけ?」

俊男は少し険しい口調で俊樹が話し始めたことに嫌悪感を抱く、当の俊樹が嫌いというより、問題の根源の様な、発端となった俊樹の存在に当りようの無い苛立ちを覚える。

俊樹「単刀直入に聞くが、母さんの財布からお金を黙って持っていただろう? それ自体は悪い事だ。 ただね、父さん達は俊男がそれが悪い事だと当然分かっていると思ってる。 お前は賢いからね、それでも持って行ったことが、とても心配なんだ。」

俊男「あれは!もう、、そうだけど、ごめんなさい、、」

俊樹「やっぱり。 お前の良い所は素直なところだ、胡麻化さない。 謝れる。 何か理由があって持って行ったんじゃないのか? もし欲しい物があれば、お前はその為に努力できる子だ。 素直に相談してくるだろ?」

俊男「言えない。 理由は言えないよ、絶対に。」

俊樹「そうか、、、言えない理由があるという事だよね。」

俊樹は自身が思っている以上に、事態は複雑なのかもしれないと、時既に遅しと焦る。 父親らしく、家族を安心させられる言動を体現しなければ。 そう思えば思うほど、脳内の思考回路は機能性を失っていくかのように感じる。

ちゃんと考えろ俊樹、ここではお前のリーダーシップが皆を安寧に導く。 

俊樹「分かった、どうしても言えないならそれはもういい。 だけど代わりにこの質問に答えてくれ。 俊男、お前いじめに遭ってないか?」

俊男は絶句した、余りにも単刀直入、そして自分のプライドがいつかTVで観た廃墟のビル爆破解体の映像の様にあっけなく崩れていく様相を覚える。

俊男「バカにするなよ、俺がいじめられる訳ないじゃん、俺はそんなに弱くない!」

俊樹「お、”俺”って、、お前どうしたんだよ、なんでそんなにムキになるんだ。」

俊樹が呼び止めるのも聞かず、俊男はおもむろに着の身着のままで家を飛び出す、何故飛び出したのか?自分でもよく分からないが、あの場に居れなかったのだ。 

僕だって男だ、僕だって男だ、僕だって男だ! 何度も何度も心の中で叫び続ける。

10回でも、20回でも、叫び続ける、涙が出ようが、いじめられようが、喧嘩が弱かろうが、僕は男だ。 弱くて心配されてたまるか。

負けたくないんだ!

時刻は17時半、日は落ちて、辺りはゆっくり夜へと様相を変えていく。 走る、夢中で走って、走る事に何の解決の意味もないのに、俊男は走る。 何事も無かったように、近くの家から夕飯の支度の香りが漂ってくる。 こんなにも僕は孤独だよと、その家庭にも伝えたくなるほどに幸せそうに見える。

俊男は夢中で走って、途中でスッと何かが胸を通過する。 俊男は追い詰められ、たった14歳と幾ばくかの年月しか生きていない少年の胸に去来する覚悟。

俊男はつぶやく。

「やってやる、、。」

俊男が河川敷に到着する頃、17時45分。 目当ての場所はもう把握してある、神崎橋の下だ。 彼らがたまり場にしている場所、いつもそこに集まってバイクを乗り回している。以前一度呼び出されたことがある。

土手の上から橋の下を遠巻きに観察すると5人位の少年達がたむろっているのが見える。 

俊男を見た少年の一人が叫ぶ。

少年「俊男!おせぇぞ、こっちにこい。」

俊男はゆっくりと土手を斜めに下っていく、その歩みはまるで何かを覚悟したかのように、ゆっくりと、落ち着きすぎている。 自分でもおかしいと思う、死ぬのか僕。


その頃、俊樹と母親も、それこそ俊男以上の気迫で走っていた。

俊樹「母さん!母さんはもういいから家に帰って、お願いだから。 俺が追いかけるから。」

母親「ダメ!絶対ダメ!見つけないと!」

母親の桃子は心臓が弱い、既に不整脈が多発して、発作がいつ出てもおかしくない状況だ。

俊樹「分かった、分かったから少し休んでくれ、俺が必ず見つけて携帯に連絡を入れる。 それまであそこの公園で待ってくれ、頼む!」

息も絶え絶え、桃子は返事をするのが精いっぱいだ。

俊樹は思う、こっちの方向で間違いない筈。 がむしゃらで走ったとは言え、何かのきっかけや行く当てで方向は見出している筈だ、いつも立ち寄る場所、友達と会う場所、集まって話す場所、集まって、、、集まる? あそこか、河川敷の悪ガキ共が集まっていると町会で問題になっていた橋の下。

俊樹は40代後半だ、全力疾走すると膝が軋むように痛む。 痛む膝を気遣いながら思う。

俊男、、父さんの後ろをヨチヨチ歩いてたお前が。 14年もずっと見てたんだ、随分足速くなったなぁ、参ったよ。

続く


店主は父親でもなく、子供とコミュニケーションを殆ど取った事のない生活をしているもんですから、こういった小説では随分と想像力を働かせないと心境を察するに至らないことを痛感してしまいます。

とは言え、父親の姿はずっと背中を見てきたのですが、本当に家族の為に命を張ったシーンを何度か見ていますので、この歳になると父親の凄さというのは十分に理解しているつもりです。

はてさて、俊樹は家族を守り切れるのでしょうか。 

あとがきみたいになってしまいますが、以前、旭川市のいじめによる自殺の事件を知って、店主は相当に心を痛めまして。

その実像に近い被害少年少女の心境と閉塞感、救いのない闇の中を描いてみたいと思ったところがあります。

とは言え、そこに何某かの救いの人、そういったものがある世の中であってほしいとそういった願いも込めた内容ですが、引き続きのお目汚しをお許し下さいませ。

芦田屋店主



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