近年の与党政権は短命過ぎて、おおよそが頼りないものだと感じ入るところがあり。
なんとなくではあるが、そもそもの国会や内閣発足の歴史について改めて調べてみる機会がありました。
そういった内容は恐らくは小学生の段階で習うのではないかと思うのだが、江戸幕府の討幕から明治維新にかけて、その流れを克明に追ってみると、そう易々と現在の政治システムが構築されたわけではないことがよく分かる。
店主は現在の政治至っては、国民の声など大して届いていないのではないかとそう決めつけていた節があり、実際はそういった側面も確かにあるのだが、実はそう簡単に切って捨てるには勿体ない、実に多難な壁を乗り越えて現在の国内政治があることに気付かされる。
その要因となったのが現在の政治の原始となった、革命家?と呼んでいいのだろうか、明治時代の政治改革である。
正直なところ、倒幕まではあまり興味がなく、個人的にはどうでもよくて、強烈に印象に残るのは明治維新後の、大正までの政治の紆余曲折である。
明治維新後、西郷隆盛や、大久保利通、岩倉具視、伊藤博文らによる超絶スピーディーな改革と戊辰戦争の決着に見る当時の混乱具合は想像するに余りあります。
現在の馴染みある都知事や県知事等も、この時代に生まれたシステムですから、100年以上経った今でも自治体に知事を置くというシステムが基本的に変わらず踏襲されていることに、そのシステムの堅牢さを垣間見ます。
所謂これが廃藩置県というやつですが、その際にクビになった大名と呼ばれるそれまでの支配層の行方が個人的には凄く気になるのですが、更に詳しく知る為に現在勉強中であります。
この日本国における途方もなく大きな改革と失われた命の末、現在の政治システムが構築されたことは、決して無関係ではなく、そもそも投票権が生まれながらに備わっているという事自体に大きな先人たちの苦労があったことを忘れてはならないと感じます。
この一連の改革の規模を考えた時、会社や組織での変革をよく照らし合わせたりしてみることがあります。
小さな一部門であっても、そこで起きる変化という物は、マクロで見た際には大きなストレスや、障壁が立ちはだかりますし、大変な思いをした記憶が蘇ります。
たったそれだけの小さな組織ですらそうですから、日本を180度ひっくり返すというこの前代未聞の改革のエネルギーと犠牲は計り知れないと感覚的に感じることができるのです。
今は一人で行動していますから、そういった事象とは無縁となりましたが、今以てそういった組織での立ち振る舞いの仕方という所に、客観的な視点を持ち合わせて参りまして、より冷静沈着に分析できるようになってきた次第ではありますが、時既に遅し。
現在の店主に必要なのは独立独歩で生き残りうるその手腕でございますから、何とも皮肉なものであります。
それでもまぁ、芦田屋が潰れた折にはどこかの組織に頭を下げに下げて拾って貰い、また雑用係から出直しとなる訳ですから、その初心や心持は忘れずに取って置きたいものであります。
この点に関しては、意外と立場に関する興味がなく、キャリア体裁という部分に関してはプライドが皆無の性格も助けており、見栄は張らずにまたやり直せる自信がございます。
また何が言いたいのかよく分からない文面になってしまいましたが、組織の中で何かを変えたい、自身の理想を形にしたいと思った時に、果たして自分はどんな役割を担っているのか、いつかそういった機会が巡った際には、少なくとも、その点で熟慮できる人間でありたいものです。
先日の芦田屋股旅では5名のご参加を頂き、貴重な時間と景色を共に堪能することができました。 通常は、目的地がどうであるか、着いたことろで何があるかという点が目的になりますが、それらが欠如した、特殊な志向であるこの旅。
どんな道をどういう風に走って、それが美しかったか、心地いいと感じたかどうかが大事なこの旅。
来年はどこを走るのだろうか?
刻一刻と死に向かって生きる貴重な一日をどう過ごすのか。 それが割と楽しい昨今であります。