ウイルス程度が・・と高を括っていたのは店主だけではないのではないかと思う。
実際店主などは、「いや~、ちょっとしたインフルっすよねぇ」とかほざいておりましたから、間抜けな話であります。
とは言えこの事態を予想できるはずもなく、ある程度世界の流れに身を任せて、その中でこの結末や、危険な事象に神経を尖らせている毎日ではある。
しかし、今の所、これまでの大変だった職務から解放された反動か、何故かストレスが随分減って体調がすこぶる良い。
こういう事はあまり大きく書けないのだが、世の中間管理職というのは振り返ってみると、よくまぁやってたなぁと思うくらいの激務である。
無論仕事は何でも大変なのだが、店主が一番苦手だったのが、後2日で何が何でも100万作らないといけない、というようなシーンだった。 それが毎月やってくるのだが、店主の場合、命がけでやってしまう。
これがまずかった、借金取りに追われている訳でもないのだから、もう少しだけ気を楽にすれば良かったのだが、作れなかった時の自分への追い込み方は不整脈が出て心臓が止まりそうになるレベルだった。
こういった働き方ではとても責任あるポジションで長持ちはしないのではないかと思う。
毎日寝てる間に歯を食いしばって歯が3ミリくらい削れてしまい、神経が出て痛かったのだが、それも随分緩和されたようだ。
では個人事業主ではそれが無いのか?という話にはなるが、あるにはある、既に発生しているのだが、一つだけ大きく違う点がある。
誰にもやれという指示は受けてないし、達成できなくても誰にも迷惑を掛けていない。という点かと思う。
詰まるところ、出来なかった時にいつも給料を払ってくれて面倒を見てくれる会社に申し訳ないといつも思った責任感なのだったと、今更ながら思う。 達成できなかった場合、やはり部門としての評価も下がっていきますから、チームのメンバーにも迷惑を掛けてしまう。 誰だって弱小チームの下っ端は肩身が狭いものだ、店主もそういった経験がある。
現在は気楽なものである、誰かの為ではなく、自分の為にやればいい、責任は自分の範疇で取ればよい。 こういった背景を考えると、何となくだが、個人事業主の社会保障が手薄いのも頷ける気がする。
組織から逸脱するだけの自由と引き換えの将来的なリスクは、まぁまぁ、いい塩梅ではないか。
とは言え、あくまで個人事業主に限った話で、店主は世の中の最も過酷なお仕事の一つは社長さんであると心得る。
店主は社長になりたいかと言われると、正直な所、心臓が持つかどうか、果たして疑問である。
中間管理職ですらあのレベルの重圧であるから、何百、何千といった特に中小の経営者に求められる責任能力判断力、タフさというのは尋常ではないレベルだと思う。
何万という規模になるとちょっと話が変わってきそうなイメージを持っているが・・。
以上の様な事を考えると、昨今の様な事態の時に店主が一番心配になるのは経営者の方々の健康状態である。
何十、何百という従業員の生活の為に何が何でも給料を出さなくてはいけない。
こんな恐ろしい重責があるだろうか。 店主は健康でいられる自信が全くないのである。
芦田屋には時折そういった人並以上に責任ある方も時折いらっしゃるが、芦田屋に出来る事は、バイク屋に来た時くらい、ちょっと気を緩めて頂いて、僅かな時間童心に帰って頂けるように努めているが、まだまだ至らない事が多いのであります。
さて、そんな大層な事を云いながら肝心の店舗はどうなったかと言いますと。
1960年代の作業台。なんだか風合いに惹かれて買ってしまった。
店主が個人的に好きな古木のフローリング。 フローリングで作業すると割と疲れにくいのである。
巨大な棚を右から左へ大移動、この辺がもはや一人の限界である。
とにかく重い。
この照明は高いだけあってなかなか良い質感である。鎖が無骨さを演出していて良い。
夜な夜なフロアの作業に勤しむ。この時点でウイルスの話がどんどんでかくなってきて、世の中の中小の倒産件数がうなぎ上り、連鎖倒産を考慮した場合、来年度は恐らく経済が完全崩壊する可能性もある。
これから開業するという事実にかなりの無謀さを感じつつ、まぁどうなっても構わないや、一生懸命やってダメならその時考えればいいや、どうせ身寄りもいないし、ワンコだけ死ぬ気で守れば良いわけだし。という開き直りも出始めてきた。
張り込みながらそんな事を考えつつ。
割とパリッとした感じになった。
アンティークのマガジンラック。 ちょっと英国風。
自分の趣味だけで揃えると、どんどんカフェ風になっていく・・。
そんな絶好調の折に、あまりにも色んな事を同時にやり過ぎたか、気が散漫になって指がグシャっとボーリングマシンに挟まれてしまった。 最初に指を開いた時に中に軟骨が見えた時は開業前に廃業というコント的な物がよぎりました。
幸い、ボーリングマシンと手の下にあったシリンダーヘッドには大きなダメージは無く、これ幸いでありました。 指は神経が死んでしまいましたが、現在可動機能としてはほぼ完治致しました。
そんなこんなありつつ、粛々と荷物を小分けにして移動する日々、勤め人でもありますから、無論日中は作業が目一杯詰まっておりますから、なかなか進まない・・・夜中にコソコソと活動。
日中は勤め先の作業→杉並に行って改装→自宅に戻って芦田屋の作業→問い合わせの返信や事務作業→ワンコの世話
一日4時間しか寝れない4月でした。
それでも何がありがたいというと、こんな時でもお仕事が変わらず出来ているという事自体がラッキー以外の何物でもない。
この先はどうなるか分かりませんが、現状で整備業界は世間様に感謝するべきでしょう。
ゴミ箱もアメリカ製をチョイス。 しかしこれ日本でいう所のあの懐かしいポリバケツであって、これをカッコいいというのは、滑稽なのだろうなぁとぼんやり思う。
いやむしろゴミ箱がカッコいいってそもそも何やねんと思う。
独りで好きな事をやるには最適だった自宅店舗。 ここは空にすると結構バイクが入るので、預かり車両の倉庫になります。
I様からの開店祝い品、ナスバムのリフト。 とても店主が個人的に買える代物ではありません。 あまりに嬉しくてワックスまでかけてしまった。
こういう設備も会社員である内はなかなかありがたみも感じないものである。
あって当たり前だと思ってしまうのだが、空からリフトが降ってくるわけではない。
お客さんが使ってくれた大切な売り上げがこういった設備の原資になっていくのである。
大切にしていきたい。
何だかよく分からない絵図だが、単相200Vを3相200Vへ変換する装置。
工事より遥かに安く確保できる。
こつこつ投資資金を節約していく。
月末には後輩の色んなディーラーの工場長にお助け頂いて、最後の重量級の設備を搬入。
皆工場長だけに兎に角超多忙な筈なのに快く手伝ってくれて、本当に良い仲間に恵まれたものである。
個人の設備としてはちょっと異常な量である。
奥にあるシンクが浮いて異様だとS社のN君曰く。
それにしてもやはり予想通り狭くなったなぁ、後はタイヤチェンジャーの到着待ち。
小物を整理して、じっくり整理整頓したい。
看板はご想像に容易いだろうが、やはり自作である。
頼むと高すぎるし、加工精度が自分以下だと多分悪態が出てしまう。
ASHIDYは店名ではない。
何とか6月には間に合いそうだ。