今年で42歳になる。
この年齢になるまでに、出来る範囲で出来ることをやってきたつもりだが、人生はまだまだ納得のいく仕上がりにはなっていない。
その上、近頃体力的な面で露骨な衰えを感じてしまう。
まず徹夜ができない、もうこれは全くと言って良いほどできなくなった。 とにかく眠い、眠い上に、限界付近になると、膝がプルプル震えて立っていられなくなってしまう。
高が42歳でこれなのだから、これから年々体に無理が利かなくなっていくのだと思うと、どうにも時間的な制約と切迫感を感じるようになった。
しかし、体力的な部分は個人差がモロに出るもんだと特に感じるようになった。
やはり肉体が丈夫な人に、同じ年齢でもまだまだ無茶苦茶なペースで仕事をしている人を散見するのだが、そういった人に出会うと羨望の眼差しで見てしまう。 無論無茶をするのがカッコいいという意味ではなく、ここぞという時の持久力は、やはり個人戦力としては重宝するものである事実という意味合いである。
そういえば、脱サラをしてからというもの、ストレスからは随分と解放されたせいか、朝起きて欠けた歯が口から出てくるというような、気持ちの悪い現象は無くなったし、原因不明の心臓や胃の痛みも無くなった。
勿論仕事をやっている限りでは、ストレスがゼロになる事はあり得ないわけですから、売り上げが悪い時にはヒヤヒヤする時ももちろんある訳で。
しかし、以前も同じような事を書いた気もするが、所詮は自分の事なので、適当でOK。他人を巻き込む訳でもなく、高い報酬を貰って結果を出せない時のあの胃が裏返って口から出てきそうな恐ろしいストレスはないので、気が楽である。
一様に、周辺からはこう評されることが多い。 ”君は会社員には向いていないんだよ”
そう評される度に、あぁ、やっとこの台詞に救われた様な気持ちを、受け入れることができる様になったなと思う。
独立するのも、会社員をやるのも、別に苦労はさして変わりないと個人的には思う。 苦労を苦労と思わない人間もいるし、ちょっとした苦労でも死ぬほど、いや実際に死んでしまう奴だっている。
列記たる相対性。 ストーブの上に座ると1分が1時間、奇麗な彼女の隣では1時間が1分。 アインシュタインの説いた説明はあらゆる事象に当て嵌められる。
他人の会社にいるのがストーブの上に感じるのなら、もしかしたら長時間そこにいると焼け死んでしまうかもしれない。 自分の会社を維持するのが、奇麗な彼女の隣にいるテンションで居れるのなら、きっと成し遂げる業績は図らずも大成に繋がっていくのかもしれない。
そうはいっても、向いていない、ストレスが溜まってしまう、もしそうであったとしても。だからといっても、安易に独立開業を勧めることは憚られると思う。
開業するという選択の後、万が一の失敗という結果が導き出す人生への余波は、大なり小なり、負の遺産を残す可能性が高い。 実際に、開業して3年以内、10年以内の倒産の平均的な件数は、公表されているだけのデータを見ると背筋が寒くなるものがある。
ここまでで、独立開業に向いている人の条件を揃えてみるとこんな人が向いているような気がする。
①非常に志向はネガティブで最悪の事しか考えない。最悪にならない様に常に用意周到。 最悪になった時に、次はこうするという準備が既にできている。
②非常に行動はポジティブで最大限のアクションを出し続ける、迷いなく出し続ける。
③孤独な環境でも大して気にしない、いつも気持ちは奇麗な彼女の隣にある。
④失敗が怖いわけではない、自分の身など、気持ちなどどうでもよい、結果を出せないことが最悪。結果だけが大事。
何が言いたいのかまたよく分からなくなってしまったが、とにかくアウトプットが大事だと昔から思う、このブログもそういった意味合いが強い。 アクセス数も非常に散々たる数字だが、気にしない。 やり続けていれば、いつか何かがやってくる。 そう信じる強い信念が後押ししているのだ。
無論、このオッサンの画像集を止めない限り、気持ち悪くてアクセスが伸びるわけがないのだが、オッサンを見て欲しいのではなく、まぁちょっとふざけるだけでも日々は結構楽しいもんだというのを体現していきたいという表現の一種である。
実際結構ふざけるのは楽しい、近ごろ世の中は堅苦しいくていかんのである。
それはまた別の機会に。