言い回しが器用になって、立ち回りが器用になって、打算の内にそうしたいわけでもないのに、存外に事を上手く運ぶための伏線を張り巡らせて防御線を張るようになる。
多分、ビジネスシーンでは、事、交渉事や契約事等はその最たるものではないか。
全部本当の事を話してしまえば、きっとどんな仕事だって成立しない物だろう。
しかしながら、時にそんな腹を割れない日々と人間関係に嫌気が差す瞬間はないだろうか。
きっと恐らくは、そういう時、家族や友人に腹を割って、その存外ではない部分を惜しみなくは曝け出すことで孤独な部分を補っていくのだろう。
惜しむらくはその重要な補填である家族や友人にすら曝け出せない人にとって、最後の砦を奪われたも同然であるという事だろう。
竹内結子氏が亡くなられた事の背景にはそういった事情が少なからず在った様な感触を個人的な見解では持っている。
画して、上級国民と噂のI氏などは、その真逆ではないかと店主は考える。
”吾輩は誰が何と言おうと無罪である。” なかなかタフなセンテンスである。
店主は専門がオートモービル系の総合保守管理であるから、アクセルが勝手にフルスロットルになるという事象を発生させるに至るには、条件的にどの位奇怪な条件を付けくわえないといけないかは分かる。
見聞きされたことがあるだろうか? 人為的以外で車が勝手に全速力で走りだしたというおとぎ話を。
そうならない様に、どれ位開発技術者が何重にも保険を掛けた装置とシステムを組んでいるか。 もはや心霊現象である。
そういった過去の全てのオートモービル進化の歴史を無視して吾輩は無罪であると言える人は、腹の内はブラックホールの様に底なしだろうと想像すると、決して近付きたくない人物だなぁと思いふける10月は中旬の夜。
どうでも良いが、あいみょんの裸の心という曲はとても素敵である。
いや、素敵だと思える心でありたい。
歌詞を聴いていると、流石にこの歳で感情移入できるわけもないのだが、何故あんな若者が昭和なメロディー奏でる事ができるのか不思議に思うのかもしれない。
脈略の無い話もこの辺でさておき、芦田屋はオープンから沢山の人の支えもありつつ、何とか4か月が経過しました。
腹を割ってお話しますと、店主は実はバイク屋がどうしてもやりたいという訳ではありませんでした。
勿論やりたくない訳でもないので、このお店はとても大切なお店であります。 自分の子供の様なものであります。
ですが、店主にとって、バイク屋さんをやるというのは、特に会社員時代と心持は何ら変わりがありませんので、やる事も責任感も大差はありません。
会社員時代は社長に負けない位に店に責任を感じてたといっても遜色ないくらいに命を懸けて必死でやりました。
だけどもっと大事なのはずっとその先にある恩返しの為の伏線であります。
芦田屋は、バイク屋さんとしての役割だけではなくて、店主個人にとってはもっと大きな役目があります。
店主が描く整備士としての集大成。
相当時間はかかりますが、いつかそれが現実の物となれば、店主のお役目もひとまず一段落かなと思います。